2022年


ーーーー10/4−−−−  貰い上手、貰い下手


 
息子がまだ小学生だった頃のことである。二人でホームセンターへ買い物に出かけた。用事が済んで店を出ようとしたら、レジの辺りに植物の鉢植えが並んでいた。その中に、小さなサボテンの鉢がいくつか置いてあった。まあるいサボテンの上に、小さな赤い花が咲いていた。見るからに愛らしかった。息子が「これをお母さんへ買って帰ろう」と言った。私も同意した。二人で顔を見合わせて、お母さんは植物が好きだから、きっと喜ぶにちがいないと微笑んだ。

 自宅へ戻って、カミさんに渡した。「まあ可愛らしい! ありがとう!」というような言葉を期待したのは当然である。しかし、そのような反応は無く、代わりに「これ何だか変ね」と言って、花を指でつまんで引っ張った。花はスポッと抜けた。良く見たら、プラスチック製の造花だった。私と息子は、この完璧とも言える期待外れの展開に、はげしく失望落胆した。

 貰い上手な人と、貰い下手な人がいる。貰い上手とは、差しあげた人が「あげて良かった」と幸せに感じるような反応を示すことである。貰い下手とは反対に、あげた人が「止めときゃよかった」と後悔をするような反応である。

 身近に、貰い上手と貰い下手がいる。後者に該当する人物の一人は、既にお察しが付くだろう。前者に関しては、何人か頭に浮かぶが、いずれも共通するのは、嬉しさをはっきりと顔に表し、口にも出すことである。「わあ、嬉しいわ、ありがとう!」とか「これ、私大好きなんです、ありがとう」とか「これは美味しそうだ、さっそく頂きます」などの言葉が、自然な感じで発せられる。それを聞くと、こちらも幸せな気分になり、また次回も持って来よう、という気持ちになる。

 人には、物に対する好き嫌いや良し悪しの判断が、多かれ少なかれあるものだ。物を貰った時に、ネガティブな判断が、サッと表情に出たり、また躊躇なく口に出たりするのが、貰い下手の特徴である。理由はいろいろあろうが、好みに合わない物、使いたくない物、などを見ると、その気持ちが表情に出る。あるいはチョロっと口に出る。そういう気持ちは、間違っていないのだろう。好きでない物を好きだと装うのは、不誠実かも知れない。しかし、そのような反応を表せば、相手の気持ちが台無しになるのは明白である

 貰い上手な人だって、ほんとうに有難く感じているかどうかは分からない。心の中では「これ、要らない」と思っているかも知れない。であっても、満面の笑みを浮かべて「嬉しいわ、有難う」と発するのは、矛盾することでは無い。貰う物が何であれ、貰うという行為そのものが嬉しいということもある。そういうのは、貧しかった時代の名残りだと皮肉る人もいるかも知れない。しかし、人が物をくれるというのは、背景にどんな事情があろうとも、有難い事に違いない。

 善良な人間関係において、物をあげたり贈ったりする行為の中には、相手に対する愛情や、思いやりがあるのは間違いない。その気持ちを有難く受け止めるのが、貰い上手だと思う。貰い上手の人とは、相手の好意を上手に貰うことができる人である。

 自分が好きでない物は要らない、役に立たない物は貰いたくない、という考え方は、合理的であろう。しかし、相手の好意や親切心を、モノが「好きでない」とか「役に立たない」とかでないがしろにするのは、どう見ても不合理である。




ーーーー10/11−−−− 渓流(たにがは)


 
朝ドラの主人公の姑が、中原中也の師を愛読しているという設定だった。それを見て、「何で中原中也?」と思ったが、まあそれは良い。私にとって忘れられない中也の詩はいくつかあるが、「渓流」と題されたこの詩は、特に印象に残っている。

 

渓流(たにがは)で冷やされたビールは、

青春のやうに悲しかつた。

峰を仰いで僕は、

泣き入るやうに飲んだ。

ビシヨビシヨに濡れて、とれさうになつてゐるレッテルも、

青春のやうに悲しかつた。

しかしみんなは、「実にいい」とばかり云つた。

僕も実は、さう云つたのだが。

湿つた苔も泡立つ水も、

日蔭も岩も悲しかつた。

やがてみんなは飲む手をやめた。

ビールはまだ、渓流(たにがは)の中で冷やされてゐた。

水を透かして瓶の肌へをみてゐると、

僕はもう、此の上歩きたいなぞとは思はなかつた。

独り失敬して、宿に行つて、

女中(ねえさん)と話をした。



 若い頃、たまたま目にした、登山関係の月刊誌のコラムにあった詩である。コラムを書いた御仁は、若い頃、一人の女性と知り合って、話を交わすうちに興が乗り、この詩を口にして聞かせたと。その出来事は、一生の間で他に無いほど素敵な時間だったと語っていた。

 それはともかく、出だしが極めて印象的な詩である。それに引き替え、末尾がなんとも間が抜けている。

 この詩も、くだんの姑は読んだに違いなかろうが、どう思ったのか? 






ーーー10/18−−−  蕎麦粉の管理


 
自宅で日常的に蕎麦打ちをしている。使う蕎麦粉は、ネット通販で取り寄せる北米産の格安品。10Kg入った袋が届くと、一回分ずつビニール袋に小分けをして、冷凍庫で保存する。その顛末は、2021年2月の記事に書いた。

 10年ほど前から、地域の旦那衆が集まって、蕎麦作りをしてきた。 2014年2月の記事を参照願いたい。当初は、蕎麦の実の収穫、脱穀から自分たちでやったが、数年前から地元の生産組合にそれらの作業を依頼して、出来上がった粉を受け取るようになった。それはともかく、月に一度蕎麦を打って食べる「蕎麦会」は、十数人の参加者で続いていたのだが、コロナの蔓延により中断となり、現在に至っている。

 蕎麦会は無期延期となっているが、蕎麦粉は従来通り作っている。それをマツタケの会が管理し、年末に蕎麦を打って、マツタケ山のオーナーに贈答する。また、コロナの状況を見ながら、少人数でマツタケがらみの飲み会を開き、その場で蕎麦を作って食べたりする。そのような状況なので、蕎麦粉の消費量は少なく、夏頃まで余るようになった。

 蕎麦粉は時間が経つと劣化する。蕎麦会をやっていた当時は、3月くらいまでに使い切った。そのあたりが、美味しく蕎麦を食べられる限界だと感じていた。余るようになった蕎麦粉を、夏まで美味しく食べる方法は無いものか。私は、自宅でやっている、小分けして冷凍保存する方法を提案した。昨年の秋、新蕎麦の粉が届いた時に、それを実行に移した。マツタケの会のメンバーが集まり、手分けをして袋詰めの作業を行った。それを、メンバーの一人、蕎麦畑の持ち主の自宅の冷凍庫で保管した。農家によっては、土蔵の中に冷凍庫をいくつも所有しているのである。400グラムずつ小分けしたビニール袋は80ヶくらいあったが、それらは全て冷凍庫に納まった。

 蕎麦のニーズがあるたびに、必要な数の袋を冷凍庫から取り出し、集会場の台所へ持ち込んで蕎麦を打つ。そういうやり方が定着した。今年の春からまたコロナ感染が激しくなり、飲み会が出来なくなった。そこで、私が蕎麦粉を預かり、自宅で打って希望者のお宅へ届けるデリバリーを、月に一回のペースで行った。その報酬として、打ったのと同数の袋を頂いた。それは自宅の冷凍庫で保管をし、来客など特別の日に使っている。

 自宅で保管していた地元の蕎麦粉の、最後の一袋を使ったのは、9月下旬だった。7、8月にも、少しずつ使っていた。出来上がった蕎麦は、いずれも夏の時期の蕎麦とは思えない、長くつながっていて、滑らかで喉ごしが良く、風味も良い、上品質なものであった。

 この地に蕎麦屋はたくさんあるが、夏になると不味い蕎麦を平気で出す店がけっこうある。ブツブツ、ボソボソの蕎麦である。そういう店も、冬の時期は美味しい蕎麦を出すのだから、蕎麦粉の劣化が原因だと思われる。中には、「夏の蕎麦はこういうのが当たり前」と開き直る店もあるそうだ。

 私が打った蕎麦が、夏を過ぎても美味しかったのは、蕎麦粉の管理が良かったからである。蕎麦粉は空気に触れるとどんどん劣化する。一回分ずつ小分けしてビニール袋に入れれば、使う時まで空気に触れない。9月に使った蕎麦粉は、昨年の11月に袋詰めした時と同じ状態なのである。しかも冷凍庫で保管してきたから、万全である。

 こだわりの蕎麦屋は、毎日使う分の粉を挽くらしい。そうすれば鮮度は保てるだろう。しかし多くの蕎麦屋は、仕入れた粉を使う。大袋に入った粉は、使うたびに空気に触れる。それで劣化する。かと言って、一回に使う分だけ小分けして袋に詰め、冷凍庫で保管するなどと言うのは、営業ベースの量では難しいだろう。だから、ブツブツ、ボソボソの蕎麦が出来てしまうのである。

 こうしてみると、夏でも美味しい蕎麦を食べられるのは、年間を通じて粉を適正に管理、保存できる、個人の家ということになる。もっとも、蕎麦打ちの技術は、必要だが。





ーーー10/25−−−  象嵌物語の日々


 
この春から秋にかけて、象嵌物語の製作に明け暮れた。象嵌物語とは、北アルプスの某山小屋に納めている象嵌加工を施したプレート、山の姿やライチョウ、コマクサなどをモチーフにした数種類の商品の総称である。セールスポイントとしては、金属を嵌め込んで模様にしているから、かすれたり消えたりすることがない。つまり半永久的な美しさがある。そして、ベースが木製だから軽く、手触りが優しい。

 4月に納品をした当初は、当然のことだが、売れるかどうか不安だった。受けてくれた山小屋オーナーの話では、過去にたくさんのオリジナル商品を試みたが、売れるか否かは、蓋を開けて見なければ分からないと。これは売れるだろうと期待したものが不調で、逆にあまり注目していなかった物が売れたりしたこともあるらしい。ともかく、売れるかどうかは、事前には読めないとのことだった。

 ゴールデンウィークが過ぎても、何の音沙汰も無くて、ちょっとガッカリした。6月になって、あらたな図案のものを携えて山小屋へ上り、置いてもらうように頼んだ。それが売れ出した。弾みがついたように、既に納めたものにも動きが出た。追加注文が続けざまに入るようになり、てんてこまいとなった。現時点(10月20日)で納めた数は290ヶ、いまだ製作中が60ヶとなっている。

 木工家具の場合、作品一つを製作するのに数日から、大きい物では数週間かかる。それに対して象嵌物語は1.5〜2時間で一つを作る。製作のスケールが全く違う。もちろん単価も大きく違う。だから、せっせと作らなければならない。10分、20分をおろそかにできない。まさに「せっせと」という言葉がピッタリの製作スタイルである。

 これまでも小木工品を作ったことはあった。しかし、100ヶ以上の数を作ったことは、「仲良し値付け」くらいしか無い。それも、注文に応えて作ったわけではない。いつ売れるか分からないけれど、まとめて作った方が能率が良いからそうしたまでだ。今回のように、注文が入り、買って貰えることが決まっている商品を、繰り返し作業で、数十個単位で製作すると言うのは、我が工房で初めての事である。

 従来の仕事のスタイルと大きく違うので、最初は違和感、戸惑い、焦燥感など、様々な心理的プレッシャーがあった。現在でもそれは尾を引いているが、多少は慣れてきた気もする。家具製作と象嵌物語の製作を比べると、会社員の仕事とアルバイトに例えられるかも知れない。会社員はひと月ぶんの賃金が決まっているから、時間ごとの労働に格別の意味は無い。それに対してアルバイトは、働いた時間で賃金が決まる。だから、より長い時間働くことが、収入を確保する決め手となる。何々を何時いつまでに、というような目標設定ではなく、目の前の仕事を淡々とこなすことが重要である。余計な事は考えずに、黙々と働くのである。

 単調な労働の繰り返しは辛かろう、と思われるかも知れない。たしかにそういう部分はあるが、やり甲斐が無いことではない。自分が開発した技術を使い、オリジナルな意匠を凝らして作る品物である。それを見ず知らずの人が見て気に入り、買ってくれる。それが月に百個単位のペースで進行する。単価が安いから、それだけで生活できるレベルの収入ではないが、熟年木工家にとっては、正直に言って有難く、また嬉しいことである。

 販売の現場を視察し、担当者と打ち合わせをするために、登り4時間あまりをかけて、山小屋へ上ることもある。若い頃から登山に親しんだ私としては、仕事がらみで山に登るというのも、なかなか新鮮で、楽しいことであった。